ウクライナにて ① (2009・10・6)
ヴァルナを出たロッテルダムは翌朝はセヴァストーポリ(ウクライナ)の港に入港した。
紀元前10世紀頃より現在のウクライナの地にはさまざまな遊牧民族が到来した。紀元前8世紀頃、黒海北岸に至った騎馬民族のスキタイ人は、紀元前6世紀頃キンメル人を追い払って自らの国家を立て、紀元前4世紀にかけて繁栄した。黒海沿岸にはギリシャの植民都市が建設され、地中海やメソポタミア方面との交易を通じてペルシャ、ギリシャ、ローマの文化的影響を受けた。(この後の歴史は割愛します。)
13世紀初め、モンゴル族の侵入によって最終的に崩壊。
14世紀にはウクライナの大部分はリトアニア大公国、一部はポーランドの支配下。1569年、両国が合併し単一のポーランド国をつくると、ウクライナは同国領土となった。
厳しいポーランドの圧制に対しウクライナは種々の反抗を行なった。1654年独立運動の指導者ボグダン・フメリニッキーはロシア皇帝に対しポーランドからの保護とロシアの宗主権を申し入れた。
それを受け入れたロシアはポーランドと戦い、ドニエプル左岸及びキエフの領有を承認させた。はじめロシアはウクライナの自治を認めたが18世紀後半には完全にロシアの一部とした。1917年の革命後、一時完全独立を宣言する政権が成立。
ウクライナの独立はソ連邦崩壊の契機となったと言う。
ウクライナで発生した大飢饉ホロドモールは、「ウクライナ人の大量殺人」と呼ばれる。この飢饉はソ連政府による企みであるとか? 正しい事は不明です。
最近では、ユシチェンコ大統領の事件は記憶に新しいでしょうか?
美男の顔があばた顔に成ったあの事件は自演とのうわさもある。ウクライナはロシアとの液化ガス紛争で有名です。
ロシアからの欧州向け天然ガスは、ウクライナ領内のパイプラインを通り、各方面に届けられるのですが、ウクライナが自国分の支払いに応じないために、今年1月に、ロシアが供給をストップ、詳しい事は長いので止めます。
色々調べてまとめましたが~歴史的には奥深い事です。 上手く表現出来ません。
観光した限りでは今は豊かで、明るい国に見えました。
しかし、ロシアとの間に、何が起こるかこれから先の時代が不気味です。

セヴァストーポリ港 ① 初寄港地ですから興味が湧きます。

セヴァストーポリ港 ②

セヴァストーポリ港 ③

セヴァストーポリ港 ④

セヴァストーポリ港 ⑤

セヴァストーポリ港 ⑥

セヴァストーポリ港 ⑦

セヴァストーポリ港 ⑧

セヴァストーポリ港 ⑨

大きな港ですが何故か岸壁に接岸しない。 テンダーボートで下船

ボートから写したロッテルダム号

吹奏楽で賑やかなお迎えでした。

白い門は船着き場への出入り口?

クリミアハーン宮殿 ① 最初の観光です。「ハーンの宮殿」は16世紀に建てられたオスマン・トルコ風の宮殿で、内部には泉や中庭が点在し、ハーレムや立派な客間、男だけの談話室などがハーンの優雅な生活を偲ばせる。
この丸いのが宮殿の門です。

クリミアハーン宮殿 ②

クリミアハーン宮殿 ③ 門を入った庭です。宮殿と言えばもっと違う物を想像しますが、田舎町の小さな村といった雰囲気だが、オスマン風の宮殿が残っている。ありし日のクリミア・ハーン国の栄華のあとをしのぶ建築です。

クリミアハーン宮殿 ④ 落ち葉掃きご苦労さまです。

クリミアハーン宮殿 ⑤ お客さんを待つお土産屋さん、華やかな衣装と帽子は踊りの衣装かな?

宮殿の庭の薔薇 ①

宮殿の庭の薔薇 ②

宮殿の庭の薔薇 ③